報道

  • 2012/05/17(木) 00:17:56

今日偶然読んだ記事に、こんなのがあった。
NHKが、火災ホテルを「ラブホテル」と報じない理由
前半はなるほど、というか、まあ普通のトリビア的な記事として読んでいたんだけど、後半かなりショッキングな内容がすらっと書かれている。タイトルからは想像もできない展開に、未だにこの報道規制の影響があって本題としては取り上げられないのかなあ、と思ったりもした。

報道には華道や茶道と同じように作法がある。たしかに報道に関わる人たちには、なにかしら目に見えない誇りというか自負心があるのは事実だ。でも、報道と名がつきながら、やっていることは芸能人の自宅前の張り付きだけだったりすることも多々ある。別にそれがいけないとは言わないけど、”報道”、”野次馬”、”大本営発表”って3つは切っても切れない関係にあって、この辺のバランスをうまく保たないと、本来の報道の機能を失うことになる。

震災後一週間の出来事だったそうだ。その時期のことはよく覚えている。たしか自分の母親の遺体を駐車場で見つける少年を、ワイドショー感覚で”報道”した番組があったのもこの頃じゃなかったかと思う。そんな時、本記事にあったような映像がテレビから流れたら、そりゃ視聴者にとってはショッキングで、ある一定の人は過剰に反応したに違いない。確かに僕らは”恐怖心をいたずらに煽られていたかもしれない。でも、そんなことは置いといて、”今そこで起こっていること”として、判断は視聴者に委ねられるべきだったんだと思う。伝えることのリスクよりも、当時は伝えないことのリスクの方がはるかに大きかったと思うからだ。

みんなそれなりに、等身大に、そこにあった状況を必死で飲み込み、対処しようとしていた。それを思うと、テレビ局幹部の判断は、あまりにも視聴者を馬鹿にしている、というか、お前何様だよ、と思ってしまった。

ジャカルタ

  • 2012/04/28(土) 19:14:27

インドネシアに来て、もう三週間近く経つ。早いものでもうあと一日を残すのみだ。

朝9時。昨晩の酒が残っているかと思いきや、意外とすっきりとしている。ビンタンというインドネシアビールがあるんだけど、どうも水っぽくて、結局カールスバーグを飲んだ。でも心なしか水っぽかった。たぶん、それほど濃いビールじゃないんだろうな。

テレビをつけてみる。思えばこの部屋のテレビのスイッチを入れるのははじめてだ。なにかしらインドネシア的な番組を期待してみたけど、結局テレビ、広告業界っていうのは世界どこでも同じようなものらしい。テカテカチカチカした映像に、美男美女(らしき人たち)が、商品を持ってにっこりと白い歯を見せる。すぐに飽きて、ナショナルジオグラフィックの多重宇宙に関する番組をしばらくぼーっと見る。しばらくするとイスラムのお祈りが始まる。毎日、決まった時間に街のあちこちからこの音が流れる。夕ご飯になると、いろんな家からカレーや炒め物や、煮物の匂いがしてくるみたいに、ごく普通に、同じ時間にメッカの方向に祈りを捧げるのだ。それを聞いていると、ジャカルタの片隅で、多重宇宙のことを考えるのはけっこうバカげているぞ、と思い、テレビのスイッチを消す。

ジャカルタ、ジャワ、バリ、パプア、カリマンタン、スマトラ、ティモール・・・。インドネシアと一言でくくってみても、それぞれ言葉も違えば宗教も違う。日本と同じ島国だけども、国境という感覚、民族という認識はまったく違うんだろうと思う。オランダ統治下、急遽国語として定まったインドネシア語。文字も捨て、アルファベットを母国語に組み込んだ。そして今、ジャカルタも他の発展途上国と同じく資本主義に飲み込まれていく。なんとなく、先日会ったエディターの言っていたことを考えてみる。

「ジャカルタに今増えているのは中流階級。そういうのは今までなかったんだよ。金持ちか貧乏人。そのふたつしかなかった。それは未来永劫、ずっとそのまんま。そういう社会だったんだ。
でもね、誤解しないで欲しいんだが、誰もそれに不平はなかったと思うんだ。っていうのは、貧乏人も、別に生活に困ってたわけじゃなかったんだから。確かに奴らは金は持ってない。でも、食べ物は自分の庭で作ってるだろ?幸い気候には恵まれてるから、放っておけば食べ物は育つわけ。お金がなくても、それを物々交換すれば必要なものはそろう。別に働く必要もないし、金だって必要なかったんだ。
だからバリとかでは、仕事なんかせずに、彼らの関心事っていえば、芸能だったんだよ。人生において大事なことは、たとえば伝統舞踊を子孫に残す事。すごくシンプル。
それが今ではジャカルタでは中流階級が増えている。彼らは金が必要なんだ。俺に言わせれば、地方の貧乏人のほうがよっぽど幸せに生きてるよ」

今、隣のマレーシアではジャスミン革命が起ころうとしている。中東とは状況が違うとはいえ、東南アジアでは革命ってことが現実味を帯びている社会だ。

というようなことを漠然と考えていたら、いつの間にかリハーサルに行かなくちゃいけない時間になってしまった。芝居、ダンス、芸能、映画、音楽・・・。いろいろな感覚、感想を持ちながらも、とにかくあと一公演、行ってきます。

リール

  • 2012/02/07(火) 23:28:26

仕事で必要にかられ、ポートフォリオ用のリールを作りました。ただ、音楽の著作権は取れてないので、リンクは非公開です。

さて、あさってからベルリンです。うーん、なんかいろいろやっとくべきことが山積みだぞ。。。

To Belong

  • 2012/01/30(月) 02:19:37

一昨年からやっているプロジェクトが、そろそろ大詰め。というか、まだワークインプログレスなとこなんだけど、4月にジャカルタで初演ということで、形にしなきゃならない段階にきてる。

コンテンポラリーダンサーで振付家の北村明子さんと、ずっと前から友人の音楽家森永くんと、先日インドネシアで一緒だったグンドノ(もうこの人は音楽家とかいう分類は不能)と、かなり異種格闘技的な組み合わせのプロジェクト。

撮影のために行って来たインドネシアは、ほんの一週間そこらの滞在だったのに、ほんとに濃い〜体験だった。なによりも、あの熱帯の独特の雰囲気と、ガムランのサイケデリックな音に包まれて、ずっと目眩にも似た狂騒の中にいた。”神秘主義”なんていう文化人類学的な単語は、本の文字を引っ掻き回してるだけじゃ、ぜったいに理解できないってことを実感した。頭上を覆うバナナが、ゆらりと風に揺れ、その風に乗ってイスラムの祈りが運ばれて来る。緑や赤、青といった自然の原色が視界を埋め尽くし、辺りを覆う空気には、匂いや温度、触覚、それから土着の人々の生活がじっとりと絡まって、からだの境界が融けていくような感覚に襲われる。

踊りや音楽、絵画や演劇が、”鑑賞”ではなく、リアルな”体験”として存続できる文化。服を着ることで、外界とからだに境界をつくってしまった僕らは、俗にいうアートも”体験”から切り離して、額縁の中へ、舞台の上へ、記録の中へ無意識のうちに押しやってしまう。

今がんばって台本をおこしている段階なんだけど、なにか自分の中に新しい風が吹いているのを感じている。

フクシマノエガオ

  • 2012/01/25(水) 02:33:00

なんかずいぶん前のことだけど、福島のいわきで子どもワークショップで作った映像です。

GReeeeNが楽曲提供してくれてます。ハイスピード撮影ができる小型カメラで子どもたち自身が撮影演出したものです。なんかね、子どもたちがほんと楽しそうだったんですよね。いろいろと厳しい環境にありながら、楽しいときはきちんと楽しいって笑えるってすごいことだと思いました。校長先生が、子どもが笑ってくれていれば大丈夫だって思えるんですって仰ってたのが印象的でした。地域にとってそれがどんなに大切なことかって力説されてたなあ。

でも、なんでいまだに職員室の前は早歩きしてしまうんだろう。。。